Imabari
Imabari
今治市は、愛媛県の北東部に位置し、瀬戸内海のほぼ中央部に突出した高縄半島の東半分を占める陸地部と、芸予諸島の南半分の島しょ部からなり、緑豊かな山間地域を背景に、中心市街地の位置する平野部から世界有数の多島美を誇る青い海原まで、変化に富んだ地勢となっています。
▲瀬戸内しまなみ海道
今治地方は、古墳時代の多くの遺跡や、七世紀には伊予国府が置かれてい たことが示すように、古くから政治、経済、文化の中心地でした。
中世には村上氏などの伊予水軍が台頭し、戦国の動向に大きな影響を与えました。慶長5年(1600)、藤堂高虎が20万3千石の領主としてこの地に入り、今張を今治と改め今治城と城下町を築いて都市としての原型をつくりました。その後、松平(久松)氏の所領(今治藩と一部が松山藩)となり、明治2年の版籍奉還まで治めました。
▲左:今治城 右:今治城内にある藤堂高虎の像
明治22年、市町村制の施行により陸地部の中心が今治町となり、大正9年、日吉村と合併して今治市が誕生しました。その直後より港湾の整備を進め、四国初の開港場となりました。
昭和に入ってから、周辺町村との合併、編入を経て、昭和37年には人口が10万人を超えました。この間、太平洋戦争での戦災に遭いながらも港を中心とした商業都市として、また、タオル、縫製、造船などが基幹産業としてめざましい発展をとげました。そして平成11年には瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、中四国の交流、流通の拠点となりました。
平成17年1月、越智郡11か町村との合併により、人口18万人となり、松山市に次ぐ県下第2の都市に生まれ変わりました。瀬戸内海の風光明媚な景観と、大山祇神社や伊予水軍城址などの歴史遺産を誇る観光都市として、また大型船の生産実績が国内の4分の1を占めるなど、造船・海運都市としても将来が期待されています。
(引用:今治市役所ホームページ)